もんじゃ焼き ・・・ 13

お久しぶりっす。Kazyっす。最近はだいぶ暖かくなってきた。わしの嫌いな寒い冬とはお別れし、わしの季節がやってきた。ビールが旨くなる季節だ!そうそう先週、ある飲みの席で食べ物の話が話題となり、関西の方でも「もんじゃ焼き」を食べるという話になった。ということで、今回は、「もんじゃ」のルーツを調べてみた。
ウィキペディアWikipedia)」(http://ja.wikipedia.org/)によると

お好み焼きの原型となった料理で、もともとは主に間食(おやつ)として食べられていた。小麦粉を溶かす水の量がお好み焼きに比べてはるかに多く、汁にソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴である。汁の水分が多いので、鉄板に接する外部は食感がパリッとしている一方、中はトロッとしている。東京の下町と埼玉県南部・東部、群馬県東部と栃木県南部で好んで食べられている。一般的な呼称は「もんじゃ」と略されることが多く、「ぼったら」「ぼった」と呼ぶ地域もある。

となっている。わしがビックリしたのは、お好み焼きよりも歴史があり、お好み焼きの原型となっていることだ!(マジで知らなかった!)さらに、歴史を紐解くと

起源は、江戸中期の江戸で作られた仏事用菓子「麩の焼き」であるといわれている。その後、麩の焼きを起源として江戸末期から明治にかけ、味噌の代わりに餡を巻いて作る「助惣焼」が生まれる。この食べ物は東京・大阪で大流行し、明治時代には「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」が生まれた。1819年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字焼き」と呼ばれ、「もんじ焼き」これが「もんじゃ焼き」となったとの説が有力である。東京都台東区浅草近辺が発祥地とされる事が多いようである。過去に盛んであった隅田川の物流、近代開通した地域の大動脈である東武伊勢崎線、旧奥州街道である国道4号などの集積地であるこの付近を基点に、関東の他の地域に伝播したと言われている。(異説もあり。)もんじゃを元に、関西でお好み焼きやたこ焼きが生まれた。

そんでもって、「もんじゃ」は、駄菓子屋がベースであったとのこと。

近年では数を減らし続けている東京・下町の駄菓子屋には、昭和初期から昭和40年代ころまでは大抵、もんじゃ焼きの鉄板があった。昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代も中頃をすぎると、キャベツはもちろん、切りイカなど具の種類も増えていった。お金に余裕がある時は、駄菓子屋で売っている、餡子玉や干したイカ等を上に乗せて食べていたが、何と言っても、もっともポピュラーなトッピングの材料は、ラメックなどのラーメン菓子であった。元々が駄菓子屋で売られた食べ物であるから、具材に生物が使われたものは無かった。このように、もんじゃ焼きはかつて、下町を中心とした子供達に親しまれていたが、近年は食文化の変遷から子供達の食べ物としてのもんじゃ焼きが遠のいてしまった。近年、東京下町の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになった反面、その客層が観光客やサラリーマンなどに代わり、酒のお供として食されるようになった。駄菓子屋自体が激減している昨今ではあるが、相変わらず現存する駄菓子屋もんじゃもあり、1杯あたり80円?300円といった昔ながらの価格で提供されている。店によりけりではあるが、価格差は量の違いであり、種類は上記昭和30年代のタイプの1種類というのが基本である。

なるほど、「もんじゃ焼き」の語源は文字で遊んで焼いたからかぁ。おもろい!わしは何だか、ひとつお利口さんになった気がする。う〜ん、こんな話題を調べていると、やはり食べたくなるのが人間の心理かぁ?(わしは「もんじゃ」が好きなのだ。よく高校の帰りに寄った覚えがある)
そこで、方針転換「もんじゃ」を調べていたが、お店を調べることに。よく聞くのは「月島もんじゃ」。てなことで、ググって、「月島もんじゃ振興会協同組合」のホームページを見つけた(http://www.monja.gr.jp/)。掲載されている店で、70件弱ある。修学旅行や団体旅行などの勧誘、さらにキャンペーンやイベントスケジュールまで充実している。その中でも、最近の修学旅行では、昼食に「月島もんじゃ」を食べるという企画も増えているとか。そんなに凄いのか?とわしは思いつつ、まだ踏み入れていない、未知の地に行きたくなってきた。こんど時間を見つけて行こうかなぁ。誰か旨い店教えて!
わしらコーポレーション株式会社 http://www.washira.co.jp/